世界をまるごと愛す!(愛らんどエンターテイメント)

~自分=世界を丸ごと愛し発見、探求し、楽しみ遊び尽くす。円結び縁ターテイナーのお気楽探検Blog~

恐怖との付き合い方

最近は、『幸せ』について、ことさら書いているんだけど。

でも、この『幸せ』に必ずひっついてくるのは、『恐怖』という感情。

 

だから、『恐怖』について書いてみようかな、と。

 

まず、先に言っておくと、

『恐怖』って悪いもんじゃないよ。

 

『恐怖』のメリットを考えると、

やっぱ自己防衛ってとこだしね。

 

これはいわば、ブレーキの機能を果たしていて、

これがないと無茶してしまうしね。

無茶しちゃうってことは、消耗するってことだし。

だから、『恐怖』って必要なもんだけれど。

 

だけど、行き過ぎた『恐怖』は、自らを滅ぼす部分もあると思うのね。

 

まぁ、というか『恐怖』ってかなり根深くて。

前、この記事にも書いたんだけれど、

 

singing137.hatenablog.com

 

手相に『恐怖』って刻まれるらしいのよ。

 

ショックな出来事があると、深い皺となって刻まれるんだと。

 

だから、これは私の推測だけれども。

『恐怖』って、DNAレべルで刻まれるものだと思うのよ。

 

事実、霊長類って(猿とかゴリラとか)、

蛇を見ると怖がるんだって( ̄▽ ̄)

 

それって、自分という個体の経験レベルじゃなく、

遺伝子の情報の中に、根深い恐怖が染みついてるんだと思う。

 

とはいえね、

『恐怖』って必要な情報かもしれないけれど、

それは過去の経験の産物ではあっても、

 

今、必要な情報なのかしら??

 

ってとこなんだよね(´・ω・`)

 

いつまで、今必要のない『恐怖』に縛られているんだろう??

 

って思っちゃうんだよ(´・ω・`)

 

それは確かに、その時必要だったものかもしれない。

だけど、『その時』と『今』は違うのよ。

 

昔の『恐怖』をひきずる程、今を実感できていないような気さえする。

 

昔と変わったことはいっぱい生まれたはずなのに、

(これは文明の進化もそうだし、人生経験においても)

昔の『恐怖』を見てしまうから、昔に戻ってしまうこともあるんじゃないかな??

 

つまりは、現状を注視せず、過去に支配されているのと一緒かな。

 

恐怖は確かに、優秀な防衛システムだけど、

生きていることって防衛するだけじゃないじゃない?

 

で、あれば。

防衛システム以上のことは任せなくていいっていうか。

『恐怖』に、自分のハンドルを委ねなくてもいい。

 

いい加減、妄想という夢から目覚めて、しっかり眺めていたい。

そうやって、むたみやたらと怖がらず、ちゃんと実感していきたいよね(*´Д`)