恐怖との付き合い方
最近は、『幸せ』について、ことさら書いているんだけど。
でも、この『幸せ』に必ずひっついてくるのは、『恐怖』という感情。
だから、『恐怖』について書いてみようかな、と。
まず、先に言っておくと、
『恐怖』って悪いもんじゃないよ。
『恐怖』のメリットを考えると、
やっぱ自己防衛ってとこだしね。
これはいわば、ブレーキの機能を果たしていて、
これがないと無茶してしまうしね。
無茶しちゃうってことは、消耗するってことだし。
だから、『恐怖』って必要なもんだけれど。
だけど、行き過ぎた『恐怖』は、自らを滅ぼす部分もあると思うのね。
まぁ、というか『恐怖』ってかなり根深くて。
前、この記事にも書いたんだけれど、
手相に『恐怖』って刻まれるらしいのよ。
ショックな出来事があると、深い皺となって刻まれるんだと。
だから、これは私の推測だけれども。
『恐怖』って、DNAレべルで刻まれるものだと思うのよ。
事実、霊長類って(猿とかゴリラとか)、
蛇を見ると怖がるんだって( ̄▽ ̄)
それって、自分という個体の経験レベルじゃなく、
遺伝子の情報の中に、根深い恐怖が染みついてるんだと思う。
とはいえね、
『恐怖』って必要な情報かもしれないけれど、
それは過去の経験の産物ではあっても、
今、必要な情報なのかしら??
ってとこなんだよね(´・ω・`)
いつまで、今必要のない『恐怖』に縛られているんだろう??
って思っちゃうんだよ(´・ω・`)
それは確かに、その時必要だったものかもしれない。
だけど、『その時』と『今』は違うのよ。
昔の『恐怖』をひきずる程、今を実感できていないような気さえする。
昔と変わったことはいっぱい生まれたはずなのに、
(これは文明の進化もそうだし、人生経験においても)
昔の『恐怖』を見てしまうから、昔に戻ってしまうこともあるんじゃないかな??
つまりは、現状を注視せず、過去に支配されているのと一緒かな。
恐怖は確かに、優秀な防衛システムだけど、
生きていることって防衛するだけじゃないじゃない?
で、あれば。
防衛システム以上のことは任せなくていいっていうか。
『恐怖』に、自分のハンドルを委ねなくてもいい。
いい加減、妄想という夢から目覚めて、しっかり眺めていたい。
そうやって、むたみやたらと怖がらず、ちゃんと実感していきたいよね(*´Д`)