幸せへの作法
最近、しみじみ感じること。
それは、無防備に幸せに浸るって、なかなか困難だなー。
ってこと。
ただ幸せを実感するって、結構難易度が高い。
ただ浸ろうとすると、湧き出てくるものがあって、
それをちょっと探ってみたんだけれど、それは、
免罪符みたいなものがないと、幸せになっちゃいけないんじゃないか。
って感じるものだった。
???
幸せになるのに、なんで免罪符がなきゃダメなんだろう。
免罪符を欲してるってことは、
幸せって罪なの??(´・ω・`)
‥‥‥‥(´・ω・`)
幸せは、罪・な・の・か‥‥!!( ゚Д゚)
‥あんぐり( ゚Д゚)
あんぐりですよ、はい(;゚Д゚)
‥ってな感じで、
罪とは言わずども、
幸せになるのって、なんだろう。
多分、なんか怖い(+_+)
もしかしたら、
手にしたら手放すことを考えてしまうからかも。
幸せに浸らなければ、失う恐怖も最初から無いもの。
だからこそ、無条件での幸せは、
ことさら失う恐怖を助長するような気になるのかも。
とはいえ、苦労したんだから、
幸せになって然るべきだよね。
苦労したんだから、手に入って持つことは許される、
みたいな幻想を抱いてしまっているような気もするわけ。
苦労をしてるから、手に入れていい条件をつけている時点で、
条件付きの幸せだよね。
条件付きの幸せは、条件が揃わないと幸せになれないから、
一生幸せになることなんて、そもそも無いのかもしれない( ̄▽ ̄)
幸せは浸るとしても、漂うものなのかもしれない。
フワッと薫るものなのかもね。