思考は現実化のカラクリ2
前回、このネタ書きましたが。
まぁ、至極当たり前よねー、って話でね。
要は、頭に思い描かないと、目の前のカタチとして出現すらしない、
ってことなんだけれどね。
まぁ、ここから分かることは、
現実化(視覚化)した時点で、過去の産物である。
ってこと(ΦωΦ)
なので、
現実という目に見えるものに捕らわれると、本来の願いを見失う。
ってことね。
要は捕らわれてしまった時点で、
過去の願いに捕らわれてしまっているのと同様だから。
その目に見えるものは、あくまで過去で、
今の自分が望んでいることではないってこと。
標準を合わせるならば、どこに標準を合わせるかを意図しないと、
本末転倒になってしまうよ(´・ω・`)
なので、目の前に見えるものは、
実は物事の本質ではないのかもしれない。
まぁ、ある種ダミーってやつなのかもね(+o+)
大事なのは、今ココ。
ここに何が在るか。
それを感じて表現することが、
未来を創造するってことなのよね。
当たり前だけれども(´・ω・`)
で、目の前の現実に関しては、
あくまで過去の思考の産物だってことを理解しつつ、
その過去の思考を探る要因にはなるかもね。
要は参考。
未来を創り出すための、参考資料。
だから、本来は、ただ眺めるだけでいいのだ。
それ以上のものは付随させなくてよい。
集中するのは、今、どんな意図があるか、
どんな感情があるか、どんなことを願っているか、だ。
この世の中に在るものは、みんな。
自分が何かを創造をするために必要な材料にしか過ぎない。
自分というこの身すら、表現する道具にしか過ぎない。
だからこそ、何をこの世界に生み出したいか。
自分の根っこにある情熱が、何をこの世界に生み落としたいか、だ。
無力なんかじゃない。
無力だと信じているから、力を誇示するようなものに惹かれるんだ。
無力じゃないと知っていれば、そんな誇示するのなんて必要ない。
純粋な創造欲がきっと、心に響いてくる。
本来はクリエイティブな存在ってことを、思い出すだけでいい。
材料は目の前にいっぱいある。
そうやって、世界と遊んでいきたいね(*´Д`)