幸せにならなきゃいけない症候群
『幸せ』について、結構記事も書きましたが。
とはいえ、別に『幸せ』って義務じゃないからね。
だから、別に『幸せ』にならなくてもいいからね( ̄▽ ̄)
『幸せにならなきゃいけない』わけじゃない。
そんな症候群に捕らわれてしまいがちだけど。
まぁ‥、『幸せになりたい』って、思うけどさ。
それは確かに、いつも持ちがちなものだけれど。
『幸せじゃなきゃいけない』
そのことが、悩みを創り出して、問題を拡大する要因の一個だったりするんだよ。
そんなの、本末転倒じゃないか( ̄▽ ̄)笑
『不幸』とか『幸せ』とか。
そんなレッテル貼りすること。
それが悪いことじゃないし、
巷じゃそれが普通だけれど。
そうやって、周りが創り出した色んな基準に、
自分がハマってレッテルを貼ると余計苦しかったり( ̄▽ ̄)
どんなものだって、
ただ通り過ぎていくものだったりする。
本当は、ただそれだけのことなんだけれど( ̄▽ ̄)
そう、実際はただ『そんなもの』だけのことばかり。
だから別に不幸になりたいわけでもないけれど、
だけど別に『不幸』でもいいんじゃないのー?とも思うんだよね。
というか、
やはり『問題を創り出す』ことが、今だ結構人類にとって、有意義な創作活動なのかもね( ̄▽ ̄)
とはいえそれは皮肉のようで、皮肉ではなく。
そういう創作行為自体が、生きていく上での糧なんだな、と。
そうぼんやり思ったりするのです。
無意味な恐怖も不安も、
ある意味では、『創作活動』を促すためだけに、発動しているのかもしれない。
それだけ生きる上で、何かを創り出さなきゃいけないことが、大義名分なのかな?
とか、何かこの湧き上がるものを冷静に観察してたいよね( ̄▽ ̄)
レッテルを貼るなといっても、
言葉がある自体でもう既に、カタチに当てはめる行為に相当するのだから。
言葉がない世界は、そういう症候群もないのかな?
なんて、ちょっと話は脱線しますが、思ったりするよね( ̄▽ ̄)