世界をまるごと愛す!(愛らんどエンターテイメント)

~自分=世界を丸ごと愛し発見、探求し、楽しみ遊び尽くす。円結び縁ターテイナーのお気楽探検Blog~

謙虚さすら、自分のため

めっちゃ前に、「感謝は自分のため」と書いたが、

謙虚さも同様に同じ類のものと思っている。

(ちなみにめっちゃ前に書いた出所はFACEBOOKね)

 

まぁ、はっきり言ってしまえばね。

全部、自分のため以外ないんだけれどさ。

 

だから、謙虚だよねーと本来、褒められる必要すらないと思ってはいるところではあるが、とはいえ、褒められる行為は気持ちが良いものなんだから、

やっぱりそれも想定の範囲内なのかもしれない。

(逆説的にいえば、褒めらない行為をしている人は、褒められることに価値を見出してないので、他人が外からとやかく言っても、まったく無意味なんじゃないかと思う)

 

では、謙虚にならざる瞬間って、どんな時かというと、

まぁ、私自身の実体験に基づけばね。

 

果てしなく、調子に乗った時。

自分すげぇ!!ってなった時かな( ̄▽ ̄)笑

 

でもね、大体こーゆー時にこそ、自分よりすげえ!!

ってヤツに出会うわけ。

 

なんやねん!!お前すげえやんかよ!!!('Д')

って感じ。

 

で、そーゆー目に合うと分かってくるわけ。

他人って凄いわ。

ってね。

自分以外の偉大さに気づくわけよ、必然的に。

 

で、繰り返されると、

それが当たり前なんだろうなーって感覚になってくる。

だから、必然的に謙虚にならざるおえなくなる。

(いちいちショック受けてたら、ココロがもたないし)

 

でもこれ、例えば巷で流行っている、引き寄せの原理からすれば、至極当たり前の結果なのかもしれない。

自分が何かを目指せば、自分がその状況において一番になるべく、

その要因のあるものを排除させようと、再現なくその要因が目の前に現れる。

この論理のループが始まっちゃうのだから。

 

そもそも1番になるって、比べる対象がいないと成り立たない現象なので、自分を一番にさせるべく、比較するものが現れる。

 

それは至極当然の結果ではあると思うのよね。

 

でもさ、まぁ、なんていうか。

自分より凄いものっていっぱいあるけれど、

だからといって、自分もすごいのよ(。-∀-)

 

だって、それだけの実績や経験を積んだんだから。

 

だから、自分が一番って思っているのも、

間違いではないと思うのよ。

それはそれで凄いんだから。

 

で、きっと自分って凄いなぁって思うようになったのも、

きっとそう思える要因に出会ったからなんだろうから。

(他人が凄いと言ってくれたりとか、まぁ色々)

だから、わざわざへりくだる必要もないわけで。

 

謙虚さって、わざわざへりくだることでもないわけ。

謙虚って、ただただ認めることができる状態だと思うの。

 

それが果ては、自分が住んでいる世界を、

まるっと認めることになるんだと思う。

 

それは自分が気楽に過ごせる、世界の構築につながるんじゃないか。

 

なんとなくそー思ったりして。

 

だから、自分のためって思うんだよねー(。-∀-)