世界をまるごと愛す!(愛らんどエンターテイメント)

~自分=世界を丸ごと愛し発見、探求し、楽しみ遊び尽くす。円結び縁ターテイナーのお気楽探検Blog~

「お金」という概念について、ちょっとした考察

お金ほすぃー、今日この頃。

 

あ、私、前回こう書いたけれど、 

singing137.hatenablog.com

 無事、現在はお仕事をしている身分でございます( ̄▽ ̄)

 

だがしかし、

給料日がまだ先なので、

色々実務的な面で、不自由さを感じておりまする(´・ω・`)

(給料日来れば、そこがかなり違う)

 

やっぱりお金がなけりゃ、自由度が減るからねー。

 

〇〇したい!!って思ったときに、

やっぱそれをするまでの期日があったりもするし。

(タイミングってあるしね)

 

それに、お金は何しろ手っ取り早いんだよ。

(それは架空通貨にしたって)

 

なう!って思った時に、動ける要素な部分の大半を占めてるから、

やっぱりそういう手っ取り早さで欲しいものなのよね、

お金ってやつは。

 

お金ってそういう象徴かもしれない。

 

お金は「早い」から。

そういう象徴ね。

手間をかけないのよねー(。-∀-)

 

でも、そんな象徴を手にするのに、

手間をかけるって、結構冷静に考えると面白い。

(でもそれが当たり前な世の中でもある)

 

と、いうことはよ??

お金を手にする「速度」を上げれば、

即ち、使用する「速度」より手に入れる「速度」が上回れば、

現象は逆転するってこった。

(当たり前ちゃあ、そうなんだけれども)

 

そこんとこをもっと具体的に考察できれば、

この世界はもっと面白いことになるかもしれないなーなんて。

(全然今の時点じゃあ浮かばないけれども)

 

意味はないかもね。

でもそんなことを考察するのも、また一興(。-∀-)

そんな今日この頃('ω')

どこまで行っても、キリのない世界

幸せなんて、探せばキリがない。

勿論、不幸だって探せばキリがない。

(´・ω・`)ってことだって、探せばキリがない。

 

なんでもそうだが、全部キリがないのである。

 

で、あれば、そのままでもいいし。

キリをつけたいのであれば、

 

これに決めた!!

 

というツルの一声しかない。

 

それしかない。

 

そーゆーことを日々やりくりして、

(または遭遇して)

 

毎日過ごしている。

言葉で枠を超えていく

私は言葉遊びが好きだ。

 

言葉は、「カタチ」があるものだから。

だからそれをあえて、崩す。

そうして自分をより自由にしていく。

そんなイメージ。

 

だから、自分の中にある「抵抗」を崩す時も、

あえて呪文のように言葉で唱えてみる。

そして文章にしてみたりする。

 

真逆の発想を唱えてみるのだ。

 

それは本当に呪文のようで、

ある意味では魔術かもしんない(笑)

 

まさに、魔法を使うことと一緒だ。

 

この世に出現させてみるのだ、あえて。

 

出現させたら、もう、無いものには出来ない。

それは生れ出てしまったんだから。

 

だから今度は、その言葉で遊んでいく。

 

その言葉を違う方向に位置づけしたければ、

また言葉のチカラを使うのだ。

 

そうやって、「自由」を構築していく。

捕らわれたココロを、解放していくのだ。

 

で、これと同じ手法って、心屋さんもやってるよね。

そしてね、前、私の好きなB'zの稲葉さんも、似たようなことを言っていて。

「言葉のボーダーラインを無くすようにしている」

的なことを言ってたの。

歌詞を創る時かなんかに。

 

だから、「太陽のKOMACHIエンジェル」とか。

わけわからん単語をあえてサビに持ってくるんだと。

 

新たな言葉で、新たなルールを創造する。

そんな感じにも近いかなぁって思ったり。

 

あと、言葉の話に関しては、
ヌースの初心者用レクチャーでも言われてたな。

noos-academeia.com

 

あとは、sora wadaさんの書く内容について触れられてるしね。

wadaさんのFACEBOOKhttps://www.facebook.com/fmplabo.wada?fref=ts

wadaさんのTwitter

twitter.com

 

言葉のチカラはそれほどまで、思考を無→有に変える部分なのだ。

 

まぁ、そもそも思考が現実化したものが言葉で、

そして記号にもなっているんだから。

至極当たり前といえば、当たり前なんだけれどね。

 

だから一方では、現実化すると思ってしまって、言葉に出すのさえ嫌がる人がいるのだろう。
言葉に出すのが怖いんだろう。

 

でも、だからこそ。

言葉でまたロックすればいいだけの話だ。

言葉は、形作る役割もあれば、逆に解放させる役割もある。

どう使うか、だ。

謙虚さすら、自分のため

めっちゃ前に、「感謝は自分のため」と書いたが、

謙虚さも同様に同じ類のものと思っている。

(ちなみにめっちゃ前に書いた出所はFACEBOOKね)

 

まぁ、はっきり言ってしまえばね。

全部、自分のため以外ないんだけれどさ。

 

だから、謙虚だよねーと本来、褒められる必要すらないと思ってはいるところではあるが、とはいえ、褒められる行為は気持ちが良いものなんだから、

やっぱりそれも想定の範囲内なのかもしれない。

(逆説的にいえば、褒めらない行為をしている人は、褒められることに価値を見出してないので、他人が外からとやかく言っても、まったく無意味なんじゃないかと思う)

 

では、謙虚にならざる瞬間って、どんな時かというと、

まぁ、私自身の実体験に基づけばね。

 

果てしなく、調子に乗った時。

自分すげぇ!!ってなった時かな( ̄▽ ̄)笑

 

でもね、大体こーゆー時にこそ、自分よりすげえ!!

ってヤツに出会うわけ。

 

なんやねん!!お前すげえやんかよ!!!('Д')

って感じ。

 

で、そーゆー目に合うと分かってくるわけ。

他人って凄いわ。

ってね。

自分以外の偉大さに気づくわけよ、必然的に。

 

で、繰り返されると、

それが当たり前なんだろうなーって感覚になってくる。

だから、必然的に謙虚にならざるおえなくなる。

(いちいちショック受けてたら、ココロがもたないし)

 

でもこれ、例えば巷で流行っている、引き寄せの原理からすれば、至極当たり前の結果なのかもしれない。

自分が何かを目指せば、自分がその状況において一番になるべく、

その要因のあるものを排除させようと、再現なくその要因が目の前に現れる。

この論理のループが始まっちゃうのだから。

 

そもそも1番になるって、比べる対象がいないと成り立たない現象なので、自分を一番にさせるべく、比較するものが現れる。

 

それは至極当然の結果ではあると思うのよね。

 

でもさ、まぁ、なんていうか。

自分より凄いものっていっぱいあるけれど、

だからといって、自分もすごいのよ(。-∀-)

 

だって、それだけの実績や経験を積んだんだから。

 

だから、自分が一番って思っているのも、

間違いではないと思うのよ。

それはそれで凄いんだから。

 

で、きっと自分って凄いなぁって思うようになったのも、

きっとそう思える要因に出会ったからなんだろうから。

(他人が凄いと言ってくれたりとか、まぁ色々)

だから、わざわざへりくだる必要もないわけで。

 

謙虚さって、わざわざへりくだることでもないわけ。

謙虚って、ただただ認めることができる状態だと思うの。

 

それが果ては、自分が住んでいる世界を、

まるっと認めることになるんだと思う。

 

それは自分が気楽に過ごせる、世界の構築につながるんじゃないか。

 

なんとなくそー思ったりして。

 

だから、自分のためって思うんだよねー(。-∀-)

圧倒的確率論(生存率編)

はてな人気ブロガー、坂爪圭吾くんの、

「いばや通信」

ibaya.hatenablog.com

 

上記記事を読んでたけれど、

貧困の波に溺れてても、そこに救いの手が入る…というくだりを見て、

なんとはなしに、彼のfacebookでの友人数やフォロワー数の人数を改めて見た。

 

その数、23,000人くらい(フォロワー、友人含む)。

で、他にもTwitterのフォロワーやはてなブログの読者もいるだろうから、

ゆうに30,000人近くいるのかな?!

30,000人といえば、東京都の中では、西多摩郡瑞穂町の町民人口くらい。

 

それはまさに、

町、管轄できるレベル。

 

改めて凄いなー(。-`ω-)

と、思いました。

 

私のfacebook友達は340人程度だし。

このはてなでも読者は1人だしね。

 

そんな私の倍の倍の人数の人が彼を注目してるんだから、

やっぱり拾う神あれば救う神もあるんだろうなーというのが、正直な印象。

 

それって、

圧倒的影響力!!

 

を、持っていることになるよねー。

 

と、至極当たり前なんだけど、そう思いました。

(坂爪くんの話はここで終了)

 

そして人数が増えれば、当然確率が上がる。

 

よく2-6-2の法則とかあるじゃん。

あ、これね。

matome.naver.jp

 

そもそも自分の意見と同一の人を探すにあたって、

他人と自分は違うので、当然同じ結果に至るなんてことは厳しい。

それは物事の見方や捉え方が違うからで、

こちらがどんなに『正解』な行動をとっていたとしても、

それが相手にとって『正解』だなんて限らない。

 

『正解』が『正解』になり得るのは、

そこに『共感』が生まれた瞬間なのかもしれない。

 

で、あれば、自分がどんな態度を取ったところで、

必ず100人中20人は自分を絶対的に嫌うし、

その内60人は自分に対してどーでもよくて、

残り20人は自分がどんなことをしても、自分が大好きな人ばかりになる。

 

であれば、自分派の20人を見つけることが出来るかが、キモなのよね(。-`ω-)

(残り60人の中間層は流動的なので、状況により変動する)

(但し、60人にとってツボにハマる、通称ラッキー期になれば支持率80%まで上昇可)

(ちなみに蛇足だけど、2-6-2の法則は、戦争ダメ!!って言いながら戦争しまくってるこの世を表す論理だと思う)

 

なので大勢の人数の集団との接触があった方が、

(それはどんな方法でも。一方的な発信でよい、自分を押し出すのであれば)

確率が格段に上がる。

 

まぁ、だから企業のセミナーとかでは、

とにかくfacebook友達申請!!とか、有名人に引き上げてもらえ!!

とか、色んな手法が蔓延るんだろうけれどね。

(まぁ、至極当然の結果だと思いますが)

 

で、これ、そういえば。

蛇足だけど、林真理子氏の結婚論も思い出したり。

 

林氏いわく、

結婚する確率は、家に引きこもらず外に出る割合と比例する。

とか書いてらっしゃったんだけれど。

(ちなみに、ほんまでっかTVでも同じこと言ってた評論家の方いたな)

 

これもあの理論と同じで。

接触する人を増やして、自分に合う人の確率を増やす。

ってことなんだよね、と。

 

ということは、生きるということにおいて、

狭いコミュニティーで生きていくよりも、

色んなコミュニティーに接している方がその分、自分の生存率を上げられるのだろう。

 

そう思ったりしたり。

 

これはある意味、遺伝子の問題とも被ってて、

血統を受け継ぐ種族は、身体が弱くなる。

という話もあるけれど。

(同一交配を続ける結果)

 

まぁ、あと、異民族が多く来た土地の人は、

美人が多くなる論とも被るのかもしれない。

(色んな遺伝子と交配するため)

 

まぁ、あと、福田さんの負け組進化論にもありましたが、

(詳しく知りたい方は下記リンクにて)

Animandala | 生命進化に見るココロのカタチ・アニマンダラ

ameblo.jp

 

適者生存して固定化したものは、時代の変化についていけず、滅びたように。

(この中での適者生存とは、環境から防備しようと進化したものかな)

 

やっぱ、常に流動的に数を増やすことって、

圧倒的確率を上げることなんだろうな、と。

 

まぁ、そう色々思ったのであります。

 

※最後、収集がつかなくなったので無理矢理まとめました(。-`ω-)7

 

 

 

 

 

 

EGOについて巡らすおもひ

なんちゃって、スピリチュアルな内容に触れると、

よく聞きがちなのが、『EGO』

NIGO』じゃないよ、『EGO』ですね('ω')

 

で、ちょっとした疑問。

なんで、スピ系の人って(ある意味、私自身も含む感じだが)

エゴエゴエゴエゴ言うんでしょ。

別にええやん、エゴでも(。-∀-)

なーんて思う私はひねくれ者かもしれないが。

 

だって、エゴに捕らわれるなんて、

人間だもの、当たり前だよね。

 

別にエゴまみれでもいいと思うの('ω')

 

エゴエゴ言うの自体が、

エゴに捕らわれてるような気すらする。

 

まぁ…、観察対象としての、記号として表記している場合もあるんだろうけれど。

 

何かを問題視するのって、結局。

自らその問題の渦中に入り込むような手段なんだよねー、なんて。

 

結局、何か言葉を発すれば発するほど、

その渦中に入り込まなきゃいけない矛盾を常に孕んでいるんだけどね。

 

私だって、こんなこと論じているが、

これ自体がエゴであり、

こんな話、興味ない人が大多数なんだろうからね。

 

EGOだろーが、EGOじゃなかろーが。

 

それでいいかな('ω')

 

 

 

 

意図への気付き方(方法論)

今回は、割と過去のこの内容の補填的なところかな。

だからまぁ、重複的内容になるのはご容赦ください(´・ω・`)

 

singing137.hatenablog.com

 

とにかく、前提として認識したいのが、

この世界は、自分の自作自演の部分が大半を占めている。

ってこと。

 

勿論、自分でどうにもできないことは沢山ありますが、

物事をどの視点から判断しているのか、ってところを考えれば、

 

自分という物事を判断、観察する視点がないと、世界そのものを認識できない。

 

ってのは、当たり前田のクラッカー過ぎる、まごーことなき事実なわけです。

 

ということは、自分が見ている全てのものは、

もれなく自分の意思が反映されているってこと。

そして、どの情報を取りたいか、取りたくないかも含め、

自分の(精神的にも肉体的にも含め)器官が、それすら決めている、ってこと。

 

ならば、なぜ自分がそれを認識してしまうのか。

 

ここに、自分の意図を反映する情報が含まれているってこと。

 

そこを読み解く(もしくは気付く)ことが、自分の意思を把握する手がかりになる。

 

これは俗にいう、直観とか、そーゆー類も一緒で。

なぜそこに惹かれるかっていうところに、自分が欲しているものがあるから。

なんだと思う(´・ω・`)

 

で、自分が意識してないところにこそ、自分の意図が出やすいってこともあり。

(これは反応の類と似ていて、意識せずに寝たり食べたりできるのと一緒で、自分にとって自然にできるからこそ、自分の欲求が行動として現れる)

それは、自分自身では意識してないので認識できないけれど、

自分以外の他者を通して認識できる産物であったりする。

 

だから、この無意識に意図的に気付くには、

例えば日記を書いてみたりとか。

(数週間続けると自分の行動パターンが判明する)

 

人からどんなことを言われたか書き出してみる。

(複数の人に話を聞くと、共通する認識が出てきたり、引っかかったりするので、他人の主観を除外視して炙り出しやすい)

とか。

 

まぁ、今思いつくのはこのくらいなんですが。

 

あとは、その記録を自分以外の他人に印象を聞いてみる、とか。

 

なるべく、自分を身近にしないで、自分を他人のように遠くに置いて観察してみる。

 

ってのが、一番わかりやすい方法論かなーとか思う。

 

自分自身の意図を、自分で意識する。

それは即ち、白日の下に曝す…とでも言いましょうか。

 

無意識で扱っていた自分自身を、公の場に引っ張り出す。

正直、これと同義語だと思うけれどね。

 

それに気付いたら…??

 

それは想像ではない、創造のセカイが生み出されるってこと。

自分の本当の望みが理解できるようになるってこと。

逆説的に言えば、

人は、自分で創ったカラクリに自分を捕えているのカモ。

 

謎が多い人生がいいのかもー。

問題は難関なほど、解けた時が面白いもの(。-∀-)

 

だから白日の下に曝せば、気付けば。

それはクリエイティブで、もっとも面白い人生のハジマリなのかもしれないね(。-`ω-)