世界をまるごと愛す!(愛らんどエンターテイメント)

~自分=世界を丸ごと愛し発見、探求し、楽しみ遊び尽くす。円結び縁ターテイナーのお気楽探検Blog~

意図への気付き方(方法論)

今回は、割と過去のこの内容の補填的なところかな。

だからまぁ、重複的内容になるのはご容赦ください(´・ω・`)

 

singing137.hatenablog.com

 

とにかく、前提として認識したいのが、

この世界は、自分の自作自演の部分が大半を占めている。

ってこと。

 

勿論、自分でどうにもできないことは沢山ありますが、

物事をどの視点から判断しているのか、ってところを考えれば、

 

自分という物事を判断、観察する視点がないと、世界そのものを認識できない。

 

ってのは、当たり前田のクラッカー過ぎる、まごーことなき事実なわけです。

 

ということは、自分が見ている全てのものは、

もれなく自分の意思が反映されているってこと。

そして、どの情報を取りたいか、取りたくないかも含め、

自分の(精神的にも肉体的にも含め)器官が、それすら決めている、ってこと。

 

ならば、なぜ自分がそれを認識してしまうのか。

 

ここに、自分の意図を反映する情報が含まれているってこと。

 

そこを読み解く(もしくは気付く)ことが、自分の意思を把握する手がかりになる。

 

これは俗にいう、直観とか、そーゆー類も一緒で。

なぜそこに惹かれるかっていうところに、自分が欲しているものがあるから。

なんだと思う(´・ω・`)

 

で、自分が意識してないところにこそ、自分の意図が出やすいってこともあり。

(これは反応の類と似ていて、意識せずに寝たり食べたりできるのと一緒で、自分にとって自然にできるからこそ、自分の欲求が行動として現れる)

それは、自分自身では意識してないので認識できないけれど、

自分以外の他者を通して認識できる産物であったりする。

 

だから、この無意識に意図的に気付くには、

例えば日記を書いてみたりとか。

(数週間続けると自分の行動パターンが判明する)

 

人からどんなことを言われたか書き出してみる。

(複数の人に話を聞くと、共通する認識が出てきたり、引っかかったりするので、他人の主観を除外視して炙り出しやすい)

とか。

 

まぁ、今思いつくのはこのくらいなんですが。

 

あとは、その記録を自分以外の他人に印象を聞いてみる、とか。

 

なるべく、自分を身近にしないで、自分を他人のように遠くに置いて観察してみる。

 

ってのが、一番わかりやすい方法論かなーとか思う。

 

自分自身の意図を、自分で意識する。

それは即ち、白日の下に曝す…とでも言いましょうか。

 

無意識で扱っていた自分自身を、公の場に引っ張り出す。

正直、これと同義語だと思うけれどね。

 

それに気付いたら…??

 

それは想像ではない、創造のセカイが生み出されるってこと。

自分の本当の望みが理解できるようになるってこと。

逆説的に言えば、

人は、自分で創ったカラクリに自分を捕えているのカモ。

 

謎が多い人生がいいのかもー。

問題は難関なほど、解けた時が面白いもの(。-∀-)

 

だから白日の下に曝せば、気付けば。

それはクリエイティブで、もっとも面白い人生のハジマリなのかもしれないね(。-`ω-)