意図への気付き方(方法論)
今回は、割と過去のこの内容の補填的なところかな。
だからまぁ、重複的内容になるのはご容赦ください(´・ω・`)
とにかく、前提として認識したいのが、
この世界は、自分の自作自演の部分が大半を占めている。
ってこと。
勿論、自分でどうにもできないことは沢山ありますが、
物事をどの視点から判断しているのか、ってところを考えれば、
自分という物事を判断、観察する視点がないと、世界そのものを認識できない。
ってのは、当たり前田のクラッカー過ぎる、まごーことなき事実なわけです。
ということは、自分が見ている全てのものは、
もれなく自分の意思が反映されているってこと。
そして、どの情報を取りたいか、取りたくないかも含め、
自分の(精神的にも肉体的にも含め)器官が、それすら決めている、ってこと。
ならば、なぜ自分がそれを認識してしまうのか。
ここに、自分の意図を反映する情報が含まれているってこと。
そこを読み解く(もしくは気付く)ことが、自分の意思を把握する手がかりになる。
これは俗にいう、直観とか、そーゆー類も一緒で。
なぜそこに惹かれるかっていうところに、自分が欲しているものがあるから。
なんだと思う(´・ω・`)
で、自分が意識してないところにこそ、自分の意図が出やすいってこともあり。
(これは反応の類と似ていて、意識せずに寝たり食べたりできるのと一緒で、自分にとって自然にできるからこそ、自分の欲求が行動として現れる)
それは、自分自身では意識してないので認識できないけれど、
自分以外の他者を通して認識できる産物であったりする。
だから、この無意識に意図的に気付くには、
例えば日記を書いてみたりとか。
(数週間続けると自分の行動パターンが判明する)
人からどんなことを言われたか書き出してみる。
(複数の人に話を聞くと、共通する認識が出てきたり、引っかかったりするので、他人の主観を除外視して炙り出しやすい)
とか。
まぁ、今思いつくのはこのくらいなんですが。
あとは、その記録を自分以外の他人に印象を聞いてみる、とか。
なるべく、自分を身近にしないで、自分を他人のように遠くに置いて観察してみる。
ってのが、一番わかりやすい方法論かなーとか思う。
自分自身の意図を、自分で意識する。
それは即ち、白日の下に曝す…とでも言いましょうか。
無意識で扱っていた自分自身を、公の場に引っ張り出す。
正直、これと同義語だと思うけれどね。
それに気付いたら…??
それは想像ではない、創造のセカイが生み出されるってこと。
自分の本当の望みが理解できるようになるってこと。
逆説的に言えば、
人は、自分で創ったカラクリに自分を捕えているのカモ。
謎が多い人生がいいのかもー。
問題は難関なほど、解けた時が面白いもの(。-∀-)
だから白日の下に曝せば、気付けば。
それはクリエイティブで、もっとも面白い人生のハジマリなのかもしれないね(。-`ω-)